初めての方は第1話①からお読みください
その日の夜。
繁華街の路地にある小さなスナックに初老の男が現れた。
「あら、もう来てくれたの?」
「顔を見たからには行くしかないだろ」
「じゃあ、毎日市役所に行っちゃおうかな」
「おいおい、そんなに暇じゃないぞ」
「だって、市長になってから1回も店に来てくれないじゃない」
「なかなか時間が取れなくて、すまんな」
「・・・何飲む?」
「もうボトルはないだろ?」
「ちゃんとあるよ」
と、ママの容子が持ってきたのはスパークリングワイン。
「これは違うだろ?」
「・・・市長の当選祝。」
「そうか、ありがとう。」
「もう出会って30年。たまにはお礼させてよ」
市長の小野はこの店の開店以来の常連。そして、元大和田市職員。
「まさか市長になっちゃうとはね~。結婚しときゃよかったかな」
「なんだよ、そっちから『市役所とは結婚したくない』って断ったくせに」
「だって、小野っちマジメすぎるんだもん。」
すると、ドアが開く。
「いらっしゃい」
江口が入ってきた。「市長、お待たせしましたか?」
「江口君。早すぎるよ。約束はもう少し後だろ。ママと秘密の話があったんだ」
「あ、す、すみません・・・。」
江口は市長との約束に遅れてはならないと早めに来たのだが・・・。
「まあいい。とりあえず、乾杯しよう」
はいはい、と答えると容子はスパークリングワインをスポーンと開ける。
グラスが4つ。そのうち3つにワインを注ぐ。
「(まだ誰か来る?)」
「ここに来てもらったのは、昼間にママが住民課の職員とやり合ったみたいでな」
江口はこの店は初めてだったが、この店のママには見覚えがある。
(昼間、発狂してた女・・・)
江口は状況がまだしっかり飲み込めない。
「容子ママの息子が住民課の職員をたいそう気に入ったそうだ」
「え?」
「ほら、おっぱいの大きい女の子がいるでしょ?うちの秀吉ちゃんが毎日会いに行ってたのよ。課長さん知らないの?」
「・・・鈴木のことですか。」
「連絡先渡したって秀吉ちゃんが言ってたのに、連絡してこないからどうなってるのか代わりに聞きにいったのよ。そしたら『もらってない』って」
「ヨーコちゃんはまだ息子のこと『ヒデヨシチャン』って呼んでるのか。もう25だろ。そろそろ本名で呼んだらどうだ」
「私にとってはいつまでもカワイイ息子。シュウキチよりヒデヨシの方がカッコイイでしょ?でも、あんな女のどこがいいのか・・・」
「はあ・・・。」
江口は状況を把握しておらず、何と返していいか分からない。
そこにもう一人の来客。
「おお、小野君、めずらしいな。住民課長さんも一緒じゃないか」
「先生、急にお呼びして」小野が恐縮している。
「丸井先生、ご無沙汰しております」
江口は議会事務局時代に当時の議長であった丸井のことはよく知っていた。
しかし、江口は丸井が来ることを聞かされてはいない。
「お孫さんの様子を知りたいかと思い、急に声をかけさせてもらったよ。」
「は、はい。」
てっきり市長に飲み誘われてチャンスと浮かれていた江口は、思わぬ展開に頭が真っ白になっていた。
翌朝。
朝礼の直後、伴沢と美香は江口に呼ばれる。
「悪いが美香さん、シバヤマシュウキチ君と一度会ってくれないか?」
「会ってますけど、窓口で」
「いや、そういう意味じゃなくて、一度プライベートで会って欲しい」
「はあ?」
美香の大きな「はあ?」に住民課職員全員が振り向く。
「しーっ」慌てる江口。「これは市長が絡んでて・・・。」
「市長???」今度は伴沢が大きな声。またも振り向く住民課職員一同。
「君たち、ケーキ食ったろ?」
まずいな、江口にはケーキの話は伝えてなかった。でも、何で知ってるんだ?
「食べたのは、市川さんたちです。私はもらってません」
ケーキの一言で美香は怒りが抑えられない。無理もないか。
「どういうことだ?」
「シバヤマさんがケーキを持ってきたのは金曜日。その日は美香さんは有給です」
「え?じゃあ、連絡先を書いたメモは?」
「市川さんが捨てました」
「どういうことだ。なんですぐに報告しないんだ!!こんな重要なことを!!!」
そりゃ無理筋ですよ・・・江口課長。
「課長こそ、私のプライベートに指示しないでください!」
美香さん、エキサイトしてるな・・・。相手が課長でも一歩も引かないぞ。
「これは市長案件なんだ!公務員は24時間365日公務員だ!プライベートでもやらなきゃいけないことがあるんだ!!」
またも振り向く住民課職員一同。そしてざわめく。
その様子に、「しまった」という表情の江口。
「・・・とにかく、連絡先は聞いてきた。とりあえず連絡をするんだ。わかったね」
「・・・。」
「伴沢君。連絡をとったら報告するように。」
「・・・ちょっと考えさせてください。」
美香が震えている。
「考えている余地はないよ。まずは今日中に連絡をとるんだ」
(つづく)
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