確かに朝晩寒い。
寒くなると人肌が恋しくなりますね。いい年のオジサンになっても変わりません。
ただ、行動に移すとターイホされますので、自制心を持って生きています。
ちょっとこじつけなのですが、
幸福感は自己の内から生まれるもの、他人にどうこう言うものではないですね。
— ヘッドハンティングされた元公務員 むらた課長CEO (公務員ドラマ執筆中) (@muratamanager) 2020年10月31日
志らく発言はみずらか浅はかな人間だと告白するようなもの。
(私も母親がいない子どもだった)
小林麻耶さん「母だけの愛情じゃないです、世の中」 立川志らくさんの“母親いないと”発言に反論 https://t.co/tW4FUasYDJ
今日は、「プチ母親論争」となりまして。
『母親がいないと不幸』
あ、そうですか。私は、10歳のときから母親がいませんけど、何か?
子どものときによく言われましたよ。他には、
「よく真っすぐ育った」とか
「よくグレなかったね」とか。
・・・だから何?
特に、実家は田舎で、片親(特に父親のみ)が珍しいと思われていた頃です。
この話題だけはうっとうしいと子どもながらに思っていましたね。
別にいなきゃいないで何とかなりますよ
— ヘッドハンティングされた元公務員 むらた課長CEO (公務員ドラマ執筆中) (@muratamanager) 2020年10月31日
それとも私が不幸だと決め付けたいのかな? https://t.co/ESSO2k7Y6n
いろんな母親
これを下支えしているのは「母親神話」だと思う。
母親とは・・・
・自分の子はとにかく可愛い
・常に愛情を注ぐ
・常に子どものことを考えている
・海でおぼれたら自分を犠牲にして子を助ける
・火事になって子どもが家に残されたら助けに行く
・夜なべでてぶくろを編んでくれる
と、世間は勝手に「良い母親像」を作り上げて当てはめていく。
・・・こんな母親ばかりだと思いますか?(笑)
母親にもいろんな方がいます。
ごはんがうまく作れなかったり、
早起きが苦手だったり、
あとは・・・とんでもない毒親だったり。
母親がいれば幸せ?いなければ不幸?
そんな単純じゃないでしょう。
母親の存在は子の努力では如何ともし難い
母親がいる、いない。あるいは毒親だった。というのは、子どもの努力で変えられるものではありません。自分ではどうすることもできない境遇をとらえて、
「あいつは不幸だ」
とレッテルを貼るのはいかにも浅はかだと思います。
実際のところ、母親がいなくてもなんとかなっていた。
別に不幸だと思ったこともないし、思う必要もないのです。
他人は他人。自分は自分。
両親がいても幸せを感じられない子どももたくさんいるでしょう。
どんなにお金があっても、欲を満たす環境であったとしても、それをとらえて「幸福・不幸」を感じるのは本人しかありえません。
他人の幸福感に干渉するな!
幸福感というのは自己の内面から生まれるもの。
他人が干渉するような性格のものではありません。
しかし、堂々と干渉しているものがいくつもあります。
例えば、「同性婚」
日本は認めていませんね。
私は、男性に対してそういった意味で好意を持つことはいままでもなかったし、今後もないと思っていますが、
だからと言って、他の男性が男性を好きになって相思相愛になって幸せになることに全く異を唱えたりする気もありません。
価値観や感性は人それぞれ。
互いに尊重し、違いを認め合うことが大事ではないでしょうか。
もし、あなたが力になりたいと思っている人がいれば、
「より幸福感が増すように」
または
「いまの不幸を軽減するように」
することが大切だと思います。
誰でも足らない部分はあるもの
私は確かに母親はいませんが、それは私を構成する一要素に過ぎません。
どんな人にも欠点や不足はあるもので、そのことで卑屈になったり自暴自棄になる必要はありません。
中には足を引っ張ろうとする人が出てくるかもしれませんが、自分自身の人生を豊かにするためには取るに足らないでしょう。
まずは、大切な人と、ハグしましょう。
今週のお題「急に寒いやん」
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